例えば今、「大きな石がこちらに向かって飛んできている」とします。

1) 「その状況を把握する」のが、「計測」です。
2) 計測されたデータから、「このままではぶつかる」という情報を抽出し、さらに「怪我をするので避けなければならない」と「判定する」のが「演算」です。
3) そして、「対処するために具体的に行動する」のが「制御」ということです。

「観測された生データ」というのは、上記の例では「逐次変化する画像」に過ぎませんから、それが(人間にとって)「どういう意味を持つか」を認識することがまず重要です。

そのために「過去の経験情報(や文献情報)」を検索して、まず「大きな石がこちらに飛んでくる」という状況情報を抽出します。
(この「人間の脳が当たり前のようにやっていること」を画像処理ソフトウェアで実現しようとすると、実はかなり大変です)

データと情報

要するに、目に映る画像や数値そのものは「データ」であってそのままでは情報とは言えません。
知識を活用し、そこから「人間にとって有用な要素を抽出したもの」「情報」ということです。

(言わば、「純金のインゴット」を「情報」とすると、「データ」は掘り出されたばかりの「金鉱石混じりの岩塊」に相当します。)

次に、抽出された情報にもとづいて、「ぶつかると怪我をするから避ける必要がある」という判断情報を演算することが重要です。

それには「過去の同様な事例の結果がどうなったか」の「経験値」といった「知識(データベース)の蓄積」が必要です。

(もし、「なにも学習していない赤ん坊」でも認識するのだとしたら「それは遺伝子情報にあらかじめ書き込まれているのだ」と考えられます。通常「生まれたばかりの赤ん坊」は「危ないも何も分かっていない」と思いますが)

その方法として「経験を重ねる」ことが必要ですが、個人の体験し得ることはたかが知れていますから、「文献を広く読んで過去の類似例を調べる」「有識者の意見を求める」などして「知識データベースを育てる」ことが重要になります。

そして知識データベースに今回の事象情報を照らし合わせ、「このままいくとどうなると予想されるか」「どう対処すべきか」を結論づけるということです。

想像と空想の違い

ちなみに「想像」という言葉があります。
「空想」との区別がついていないことが多いですが、「このままいくとどうなるか」を「事態が現実に起きる前に察知する力」が、いわば想像力であり、「現実には起こりえない」あるいは「そうだったらいいな」という空想とは似ているようでまるで異なるものです。